本日2016年8月31日に74歳の誕生日を迎えた青木功。世界ゴルフ殿堂入りを果たした名手であり、日本人として初めてPGAツアーで勝利した男でもある。1983年のハワイアンオープン、しかし青木は18番ホールで絶体絶命のピンチを迎えていた!
日本人のPGAツアー初優勝は、絶体絶命の状況からの大逆転劇だった
18番パー5を迎えた段階で、青木と前を回るジャック・レナが18アンダーで並ぶ状況。レナは完璧なショットをふたつそろえ、3メートルのイーグルチャンスにつける。
レナは3メートルのイーグルパットを惜しくも外し、バーディで19アンダー。後続の青木を待つ。しかし、青木はそのとき大ピンチを迎えていた。
バーディ必須の状況で、ティショットもセカンドもラフへ
レナが19アンダーでホールアウトしたことにより青木がプレーオフに残るためには18番でのバーディが必須となった。しかし、ティショットを右のラフに外すと、セカンドで今度は左のラフに入れてしまう。
残り128ヤードのラフからの3打目を寄せ、ワンパットで沈めなければ勝利は得られない状況。絶体絶命の状況から、青木はピッチングウェッジを選択した。この記事のトップ画像となっているのが、そのピッチングウェッジだ。
残り128ヤード。ラフ。そのとき奇跡は起こった
そしてこの一打は伝説となった
PGAツアーの公式ユーチューブチャンネルは、この一打を「クラッチ(勝負強い)ホールアウト」として紹介。日本のゴルフ史のみならず、ツアー屈指の劇的な幕切れとして、世界のゴルフ史に名を刻む一打となったのである。
青木功、74歳。まだまだ「世界のAOKI」の魔法のような一打を見たい。そう思うゴルフファンは、きっと世界中にいるに違いない。