100年を超す歴史を持つ日本のゴルフ。その歴史を刻んできた名コースを紹介するシリーズの第4回目は、箱根振興を目的として大正6年に作られた「富士屋ホテル 仙石 GC」をご紹介しよう。
動乱の歴史を乗り越えた、日本で7番目のゴルフ場
明治11年、米国帰りの山口仙之助は、天正年間小田原征伐の豊臣太閤も泊まったという「藤屋旅館」を買収し、箱根宮ノ下に外国人専用の「富士屋ホテル」を創立した。その後、大正6年に箱根振興のためのゴルフ場を計画し、駒沢コースを設計した「T・E・コルチェスター」の設計で着工した。7ホールが完成した際に、宮ノ下御用邸に滞在中の皇太子(昭和天皇)が毎週プレーに来場された。それ以来、昭和天皇との縁が深い。その後、9ホールが無事完成し、日本で7番目のゴルフコースとして開場された。
大正7年、会員制の箱根ゴルフ及び狩猟倶楽部を設立。その規約には「本倶楽部は御大禮記念事業として設立す」とあったが、2年後に富士屋ホテルに委譲される。その後、昭和10年8月に18ホール・6320ヤードへ拡大された。
昭和19年ごろ、クラブハウスをヒトラーユーゲント(1926年に設けられたドイツのナチス党内の青少年組織に端を発した学校外の放課後における地域の党青少年教化組織)の訓練のため独逸協会に貸与していたことがある。戦時中は13、14番ホールは開墾され、その他はグライダー練習に使用されていたが、大部分は残っていた。
昭和20年8月の終戦後、10月24日に米軍が施設を接収。この間、マッカーサー元帥夫人やアイゼンハワー元帥、ドッジ経済顧問夫妻らが来場した。また、昭和25年の朝鮮動乱では、在韓米国人が多数避難しハウスに収容された。この後、米軍接収は6年5ヶ月続き、昭和27年2月末の日講和条約締結でようやく解除され、パブリックとして営業を開始した。
ゴルファーならば知っておきたい、日本のコースの歴史
日本には長い歴史を持つ美しいゴルフコースがたくさんある。ゴルフコースを知ることは、ゴルフの歴史を知ること。そして、まだ見ぬコースに思いを馳せるのも、ゴルフの楽しみのひとつなのだ。